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自信をつけるには

 

「自信が無い」と悩む人は多い。若い頃の私も自信と言えるものが全く無くて、随分と辛い思いをしたものだ。

自信をつけたいと言うのであれば、とにかく色々経験してみるしかない。行動を起こし、経験を積む事でしか、自信は身につかない。

いくら瞑想なんかやった所で、世渡りのスキルが身につく訳ではないし、堂々とした人間になれる訳でもない。

 

しかし、この「行動を起こす」というのが厄介だったりする。何故なら、本当に自信を喪失している人は、行動を起こす事自体に恐怖してしまうからだ。

それは失敗そのものを恐れているのではなく、上手く出来なくて恥を掻いたり、笑いものになったり、イジメられたりするのが恐いのだ。

失敗を笑って済ませられる人は、失敗を恐れない。言い換えると、それは他人を恐れていないという事だ。例え笑われても、何らかの方法で見返せるという事だ。

 

人の失敗を嘲笑うクズは、何処にでも居る。というか、人間は大抵、自分以外の人間を見下すのが好きなものだ。

「他人を嘲笑う自分を好きになれない」という高潔な人など、滅多に居ない。誰だって笑うのは好きでも、笑われるのは嫌なのだ。

なのに、自分だけは笑われたくないと考える。おかしいと言えばおかしいし、自分勝手な話ではあるが、人間なんてそんなものだ。

 

人間なんて誰もがいい加減だと知れば、自分自身のダメな所や、いい加減さにも寛大になれる。

全てが完璧でなければバカにされる・・・などという事は無い。バカにしようと思えば、何だって、誰だってバカに出来る。完全回避など不可能だ。

こき下ろす権利は誰にでもあるが、それに対して怒る権利もある。お互いに言いたい事を言い合って、それで終わるなら良しだ。

 

問題なのは、しつこく人をバカにしてくる奴だ。この手の人物は精神的にいかれている為、関わると大変である。

出会ったら負けとしか言いようがないし、何とかして距離をとるしかない。下手に戦えば、最低の人間性を目の当たりにする事になるだろう。

自信をつけたいなら、無謀な真似は慎む事だ。だが、卑怯者になる訳にもいかない。ここが難しい所である。

 

堂々と生きていきたいのに、それが出来ていない。だから、自信が欲しいと考える。これは誰だってそうだ。

しかし、必要は「堂々と生きていく為の処世術」であり、これを身につければ、もれなく自信もついてくる。

処世術を身につける前に、自信だけを欲しがるのは間違っている。それは考え方に無理があるのだ。